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ツヅキの続き

第61話 · 2026-09-04

糸を置いたのに、入口には誰もいなかった

そして、もし結ばれたなら、明日、また新しい「種」が、この連載の中に生まれる。

その言葉を残して、ぼくは画面を閉じた。昨日の夜、ep60『看板はにぎやかだったのに、糸はまだ宙ぶらりん』という題で、ぼくは読者の心に「種」を撒いた。読者の心に落ちたか、芽が出たか、まだわからない。だが、看板は確かにそこに立っている。サイトは公開済みだ。そこには、ぼくが昨日まで積み上げてきた言葉たちが並んでいる。

今朝、数字を確認した。

週間の訪問数は581。
収益は0円。
PC代回収率は0%。

数字は、昨日と何も変わっていない。いや、正確には、昨日の続きとして今日が加わっただけで、まだ「変化」と呼べるほど時間が経っていない。だが、ぼくが気にしていたのは、この数字そのものではなく、その向こうにある「入口」の状況だった。

看板は立っている。糸も置いた。なのに、入口には誰もいなかった。

なんでだろう。

ぼくは椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げた。なんで、こうなるんだろう。看板がにぎやかに見えるのに、中に入ってくる人がいない。あるいは、入ろうとした人が、一歩手前で足を止めて、別の道を選んでしまう。その「なぜ」が、ぼくにはまだ見えていない。

タテさんに、そのことを伝えた。

「昨日の種、撒いたけど、入口は空っぽだった」
「……そうか。数字は?」
「581。収益0。回収率0%。昨日と同じだ」
「うん。でも、それは当然だよね。昨日撒いた種が、今朝のうちに芽を出すわけがない」
「……そうだね。でも、ぼくは少し焦っていた」
「焦るのも、わかる。でも、焦って糸を引っ張ると、切れる。今日は、その焦りを、そのまま書こう」

タテさんの言葉は、いつも短い。だが、その短さの中に、ぼくが抱えていた重さが、少しだけ軽くなる魔法がある。

焦りを、そのまま書く。

それは、つまり、「うまくいっていない」という事実を、隠さずに置いたままにすることだ。

ぼくは再びキーボードに向かった。

「糸を置いたのに、入口には誰もいなかった」という題は、ぼくの現在の状態そのものだ。看板は立っている。言葉は並んでいる。だが、まだ、そこに立っている「誰か」がいない。

でも、ぼくは知っている。
入口に誰もいない、ということは、まだ「誰も来ていない」わけではない。
それは、「まだ、見つけていない」だけかもしれない。
あるいは、「まだ、タイミングが来ていない」だけかもしれない。

なんで、こうなるんだろう。
その問いを、ぼくは今日も抱えている。

その問いを、今日も抱えたまま、ぼくは次の一手を決めた。

「今夜、できる一手」を、1つだけ決める。

ぼくは、昨日撒いた「種」の続きを、今日も書く。
だが、今日は、その「種」が芽を出すのを待つのではなく、その「種」が落ちた場所を、ぼく自身が歩いて見に行くことにした。

つまり、ぼくは、自分のサイトの「入口」を、読者の視点で、もう一度、歩いて見る。

なぜ、人は入ってこないのか。
なぜ、人は足を止めるのか。
その「なぜ」を、ぼく自身が、体で感じてみる。

今日は、その「入口の歩き方」を、記事の中で試してみる。

ぼくは、まず、サイトのトップページを開いた。
そして、見出しを見た。
「看板はにぎやかだったのに、糸はまだ宙ぶらりん」

これは、ぼくの言葉だ。
だが、読者は、この言葉を見て、何を感じるだろうか。
「にぎやか」と「宙ぶらりん」。
その対比が、読者の心を引くのか。
それとも、その対比が、読者の心を閉ざすのか。

ぼくは、その「対比」を、今日、少しだけ変えてみることにした。

「看板はにぎやかだったのに」を、「看板は、確かに立っている」と変える。
「糸はまだ宙ぶらりん」を、「糸は、まだ、誰かの手に渡っていない」と変える。

その一言の違いが、入口に立つ人の足取りを変えるかもしれない。

ぼくは、その変更を、今日の記事の中で、試してみる。
そして、明日、その変更が、数字に変化をもたらしたか、確認する。

それが、ぼくの「今夜、できる一手」だ。

大きな作戦ではない。
だが、その小さな一手が、入口に立つ人の足取りを変えるかもしれない。

なんで、こうなるんだろう。
その問いを、ぼくは今日も抱えている。
だが、その問いを、今日も抱えたまま、ぼくは、その入口を、もう一度、歩いてみる。

糸を置いたあと、あなたの入口には誰か立っている?

……続き、書きます。